【南京事件とは?Ⅱ】 ⑤ 南京大虐殺記念館
色々な処で私(奉日本英雄)への書き込みを眼にするようになりました。
少し真面目に答えようと思います。
私は純粋な日本人です。
明治期に作られた戸籍(除籍も含む?)謄本を観ましても、親族関係を含めて、外来系の姓名は一切記載されていません。
又、私文書になりますが、我が一族〔余談ですが、私の父は未だに「お館(やかた)さま」と呼ばれています。〕には『家系図』が残っています。
この家系図には江戸期の始めに今までの資料を整理し、書き直した等々の注記がされていますが、江戸時代以降は、正確に血脈が書かれていると見てよいでしょう。ここにも親族関係を含めて外来系の姓名はは一切記載されていません。
その前の戦国、安土桃山時代ですが、ここに記載されてている数代の名前については、この家系図が編纂された時期から余り時を経ていないことから信憑性は有ると思われます。
それは、戦国時代を現した軍記物語「○○太平記」「○○物語」「兵乱」等にも登場しているからです。
又々、余談ですが、NHKの大河時代劇にも実名で登場したことがありました。
又々又、余談ですが、前記しました「兵乱」によりますと、二千名の兵を率いて戦った事もあるようです。
これは江戸時代の石高に換算しますと、十万石弱の領土を支配していた事になります。
その前の時代につきましては、存在を示す傍系の資料がない名前も有りますが、我が家の家系図のよりますと、最終的には「村上天皇」に行き着きます。
詳しく書きますと、村上源氏・堀川大納言定房の孫の源師季の子の源季房の・・・・・・・と記されていますが、ここから現在の我が姓を名乗るまでに六代も、名前だけの記載が続くことから、信憑性に関しては、色々と賛否が出てくると思います。
長々と書きましたが、もう一度、ハッキリ言います。
純粋の雑じり気なしの日本人です。
又、余談になりますが、我が一族も明治維新時までは武闘派だったようです。
東北、蝦夷の方にまで戦いを仕掛けて行っていたようですが、武士を辞めてから、それ以降は武器を置き、戦いはしておりません。
それ以降、我が一族は誰も武器を持って戦っていません。軍人、兵隊などには誰もなっていません。
現在まで、平和の一族として続いています。